出来れば手ぶらでいたい。
携帯や財布をはたまた夢もポケットに詰め込んで、出来るだけ身軽でいたい。
だが、社会に属していると荷物が必要になる日がほとんどなので「良い鞄」を探すわけだが、まぁ見つからない。
私にとっての「良い鞄」とは、実用的でモノとしての純粋な魅力があり、かつ自分の衣服との親和性が高い鞄。
普段持ち歩く荷物が入る容量があれば何でも良いと割り切る事が出来れば楽なのだが、肥大化した自意識がそれを許さない。
上記の条件を満たすものとなると、途端に選択肢が狭まってしまう。
そんなこんなで長い間、理想的な出逢いを求め、果てしない旅路を彷徨っていたのが、ようやく心から「これで終わらせられる」と想える鞄に出逢うことが出来た。
内容物を取り出しやすい横長の構造と適度なマチに加えて、満員電車に揉まれはたまた乗り口のドアに挟まれ水や珈琲をこぼしても、雨ニモ負ケズ風ニモ負ケナイクラックレザー。
燻銀な面の内には、ちょいとお茶目なシルクで覆われたコンパートメントを秘めているのも実に憎い。
各人の生活様式に適応する実用性が備わっていながら、使うほどに時が刻まれ顔つきが深化していく記録的性能もある。
この鞄は、私にとって「鞄」という物質における最適解の一つであり、自身の人間性を表す記号でもある。
これと出逢ってからというものの、今や荷物を持ち歩くことが愉しく贅沢な時間となっている。